• やりなおし

    いやに涼しいゴールデンウィークに植えつけた赤ピーマンの苗は、翌日の大風に吹かれて幾度も支柱に打ちつけられ、小さな葉のほとんどが根元から折れてなんとも貧相な姿に変わり果ててしまった。春を過ぎても強風に見舞われるこの地域の特性を知りながら、ほんの少しの手間を惜しんで防風ネットをかけないのが悪かった。前日のホームセンターでは傷ひとつなく堂々と陳列されていたはずの苗が、わが庭では前後左右へ頼りなさげに揺られて見ていられない。あのとき防風ネットをかけていればと、水やりの度にこちらも一緒になって項垂れたくなる。その後も根気よく水をやってはいるものの、大事な時期に葉を失った苗が今更見違えるように元気になるわけがない。だが、元気のない赤ピーマンは、あの元気のない赤ピーマンのままで、六月を目前にして真白な花をひとつ咲かせたのだった。また風が吹けばたやすく折れてしまいそうに見えるけれど、それでも咲いた。植物は如何して、そんなところからせめて咲くまでやり直せるのだろう。

  • 街ゆくアミーバ

    朝、数日来の曇天を抜けてやっと見えた塵ひとつない晴れ空だった。二車線道路沿いの歩道では、蛍光色のメッシュタンクを揃って着用した高齢者の小集団が、アミーバのように広がったり縮まったりしながらどこかへ進んでゆく。おのおのが右手にトング左手に自治体指定のゴミ袋を携え、広い歩道の方方に散った凹んだコーヒー缶やら、ちぎれて短くなった吸い殻やら、得体の知れない襤褸やらを拾い集めては、ゆるやかに蛍光色の輪へ戻ってゆく。広がったり縮まったりの繰り返しによって、街は少しずつではあるけれども目には見えない速さ(遅さ)でたしかに浄化されている。会釈とは受け取れないこともない程度に頭部をなんとなくふわつかせながら、メッシュタンクの集団をそっと追い抜くと、片田舎の高い空のさらにまた高いところで、今しがた飛行機雲が描かれ始めた。

  • ムスカリが咲いた

    墓と呼ぶにしては誰の注意も引かない、一見粗末な花壇に見えるわが家の小さな墓地は、敷地の南端に位置しているのだけれど、ブロック塀の陰になって植物の生育が悪い。同じ市内にある裕福な古民家の中庭ではもうムスカリが顔を出していたが、わが家の小さな墓地は未だに冬を引きずったままだ。新築の頃、その一平方メートルの花壇と思わしき空白にはサルビアを植えていた。二年目の秋には思いのほか太く育った茎を切り、それからは手のかからないムスカリを植えっぱなしにしている。墓地の十二時の位置には、前のマンションからともに移り住んだ長毛種のゴールデンハムスター、墨レが眠っている。一時の位置には、まだムスカリの葉がしなびて黄色かった時分にクロクマハムスターのひのでを埋葬した。ムスカリは徐々に株を増やし、日陰の苔むした土の下には球根がぎっしりと並び、年々墓穴を掘るのが難儀になっている。ハムスターの遺体が時計のダイアルをぐるりと囲った暁には、小さな遺体を一体この世のどこに埋葬するのか、まだ策はない。それとも、その頃には十二時の位置に眠る墨レはすっかり土に還っているのだろうか。人の生涯に十も二十も旅立つハムスターたちを、どれほどの土地を所有していれば誰ひとり取り残さずに弔えるのか、小学生の少女のまま飼い続けるわたしは知らない。

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