先達

そのひとはわたしの夫の父の母の妹の夫の父で、おそらくこの間柄を端的に示す言葉はなさそうで、言うなれば「血のつながっていない遠縁の親戚」なのだった。そこで先ずかれを仏師と呼ぶことにする。夫と結婚して間もないころ、仏師の形見である手彫りの白衣観音像と、木魚その他の仏像を何点か受け継いだ。生前仏師は多作な作家だったようで、大叔母は家にある仏師の作品群をできるだけ多くのひとへ分け与えようと、常に仏像の受け入れ先を探していた。当時、遠方に住む義理の親族とは顔も名前も覚えたての間柄だったのだけれど、仏教校の出身で観世音菩薩に帰依するわたしは、血のつながっていない遠縁の親戚ではあるものの仏師の形見を受け継ぐには適任だったといえよう。仏師の彫った朴訥とした白衣観音さまには、今では毎朝毎晩欠かさずに手を合わせるほどに親しみをおぼえ、もし一般家庭に於いてもそういった呼び方が許されるのだとしたら、すっかりわが家の“御本尊”となっている。こうして観音さまがやって来てから十年近くが経ち、この度に御縁があって義理の親族とともに仏師の菩提寺へ墓参りをする機会を得た。「たしかお寺にも作品を納めたはず」と御年九十の祖母が言ったとおり、果たして菩提寺の堂内にはわが家の白衣観音さまと同じく朴訥とした佇まいの達磨大師がおられた。生前の仏師は、いつの日か息子の妻の姉の息子の息子の妻が自らの作品に心打たれると想像しただろうか? わが家と山間部の寺院にて今なお拝まれる名もなき作品群に倣い、ここに人知れず文章をしたためる場所を作ることとする。

合掌

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