辺りは夏前のむっとした心地で、地平線まで海も山も町並みも無く、見渡す限り空の青と背の高い雑草の緑が広がっている。そのほかにはなにも無い――ただ巨きくて黒ずんだ木造の寺社のような建物を除いては。背後から抱きつかれるようにして樹木に覆われたその建物の、古びた木材は野ざらしで塗装がはげたのか、それとも初めから剥き出しだったのか。あまりに巨きいので、その巨きさゆえに人間のために建てられたものではないのだと直観する。一見すると三階建てくらいに見えるけれど、思いのほか複雑な構造をしているから、ひとつの階の天井がどれほど高いのか、樹木と一体化した反対側はどうなっているのか、全貌を捉えきれない。自分のほかにひとの姿は無く、また今より過去にも未来にもひとの気配は無く、永きにわたり無人であるかのようだった。儀式めいた設えで、しかも生命体は存在していないのに、そこは住まいであるのだと、理解を超えて感じ取る。わたしはその巨きな建物をスマートフォンの画角におさめるために、対象からだいぶ離れた位置に立って居て、人間には巨きすぎる距離を、気が遠くなるほど小さな歩幅で懸命に行ったり来たりしながら、綺麗な写真を撮ろうと試行錯誤している。もっとも近くに見える建物の向こうには、一定の広大な間隔を空けて、似たような建物が並んでいる。遮るものが無い平地では遥か遠くまで見渡せるけれど、人間の足では隣の建物へ近寄るにもどれだけかかるかわからなくて、世界の身に余る広さに怖気づいている。