• 稲も泥より出て

    濁った水底を掌で撫でると、平らになったそこへ均等に泥水が流れ込む。見えないくぼみで若い稲が倒れてしまわぬように、一列も怠らずに泥を撫でた。根を支えるには心もとない柔らかな土壌に浅く苗を挿し込む。植物はそれでも真っ直ぐに伸びるのだろうけれど、無事に根づくようにと植える度に祈らずにいられない。裏返ったカブトエビの亡骸が、かすかな流れに乗りどことなく水面を漂ってゆく。ホウネンエビは緑の内臓を透かして見せながら、苗と苗の間を優雅に泳ぎ回る。沈み込んだ足をぐっと引き抜いて、後ろへ一歩下がるとその足がまた泥中に沈み込む。くぼんだ足跡を消すために、濁った水底を掌で撫でる。植えても、植えても、背後の農道はまだ遠い。「鏡のように、綺麗に植えましたね」と上から声がしたので、手を止めて振り向いた。鏡に擬えたわけは、どうもわからない。腰をあげ、佇む指導役と同じ目線に立ち、足元から彼方までゆらぎながら列をなす稲の群れを見渡した。濁っていて見えなくても、撫で続けた水底はきっとどこまでも平らかで、田圃は今にも降り出しそうな六月の曇天を映している。

  • 未完成

    埼玉は川越の歴史ある山車が二台、真新しい硝子越しに展示される大ホールの隅に、その「未完成」は在った。われわれ老若男女の観光客は、祭の熱気を伝える数分間のプロジェクションマッピングを大人しく鑑賞し、それから係員の解説に頷きながら二台の山車を眺めていた。これで全ての展示物を見終わった、と気が抜けたところで係員がくるりと反対側を向いて、最後に「未完成」の紹介をする。見事な二台の山車が、彩色を施され勇ましい神の人形を頂点に掲げているその向かいに、木製の骨組みが剥き出しになった無彩色の構造物がぽつねんと在る。その大きさや形状は二台の山車と似通っていて、まるで山車の構造を解説するために作られた模型のように見えた。ところが係員の説明によると、それは展示模型などではなく、祭の日に町の子どもたちを乗せるため、ある有志の資産家が私財を投じて作らせた未完成の山車なのだという。舞台に龍の彫刻を施され、ハンドルを回して人形を高く掲げるからくりも仕上がった。ところが資産家は志半ばにしてこの世を去り、資金を失った山車の制作はそこで頓挫してしまう。仮にここから山車を完成させるとなると億単位の予算が必要だと係員は言い、つまりそれは今後も未完成のまま展示され、祭に出ることは叶わないのだと示唆している。さっきまで気にも留めなかった構造物が誰かの厚意そのものだと知った瞬間に、その美しさに少しも目を向けずにいた自分をいたく恥じた。

  • 田圃

    田圃に水が張られた。夜の畦道は鏡の淵を走るかのよう。小雨が止むと、星を映す水面で農家の住まいが逆さになり、新幹線が高架を駆け抜けるたび、窓の光が平野の鏡面に一筋の線を描く。風を切る轟音が去るとまた、一面は蛙の声。

  • 巨きな住まい

    辺りは夏前のむっとした心地で、地平線まで海も山も町並みも無く、見渡す限り空の青と背の高い雑草の緑が広がっている。そのほかにはなにも無い――ただ巨きくて黒ずんだ木造の寺社のような建物を除いては。背後から抱きつかれるようにして樹木に覆われたその建物の、古びた木材は野ざらしで塗装がはげたのか、それとも初めから剥き出しだったのか。あまりに巨きいので、その巨きさゆえに人間のために建てられたものではないのだと直観する。一見すると三階建てくらいに見えるけれど、思いのほか複雑な構造をしているから、ひとつの階の天井がどれほど高いのか、樹木と一体化した反対側はどうなっているのか、全貌を捉えきれない。自分のほかにひとの姿は無く、また今より過去にも未来にもひとの気配は無く、永きにわたり無人であるかのようだった。儀式めいた設えで、しかも生命体は存在していないのに、そこは住まいであるのだと、理解を超えて感じ取る。わたしはその巨きな建物をスマートフォンの画角におさめるために、対象からだいぶ離れた位置に立って居て、人間には巨きすぎる距離を、気が遠くなるほど小さな歩幅で懸命に行ったり来たりしながら、綺麗な写真を撮ろうと試行錯誤している。もっとも近くに見える建物の向こうには、一定の広大な間隔を空けて、似たような建物が並んでいる。遮るものが無い平地では遥か遠くまで見渡せるけれど、人間の足では隣の建物へ近寄るにもどれだけかかるかわからなくて、世界の身に余る広さに怖気づいている。

  • 先達

    そのひとはわたしの夫の父の母の妹の夫の父で、おそらくこの間柄を端的に示す言葉はなさそうで、言うなれば「血のつながっていない遠縁の親戚」なのだった。そこで先ずかれを仏師と呼ぶことにする。夫と結婚して間もないころ、仏師の形見である手彫りの白衣観音像と、木魚その他の仏像を何点か受け継いだ。生前仏師は多作な作家だったようで、大叔母は家にある仏師の作品群をできるだけ多くのひとへ分け与えようと、常に仏像の受け入れ先を探していた。当時、遠方に住む義理の親族とは顔も名前も覚えたての間柄だったのだけれど、仏教校の出身で観世音菩薩に帰依するわたしは、血のつながっていない遠縁の親戚ではあるものの仏師の形見を受け継ぐには適任だったといえよう。仏師の彫った朴訥とした白衣観音さまには、今では毎朝毎晩欠かさずに手を合わせるほどに親しみをおぼえ、もし一般家庭に於いてもそういった呼び方が許されるのだとしたら、すっかりわが家の“御本尊”となっている。こうして観音さまがやって来てから十年近くが経ち、この度に御縁があって義理の親族とともに仏師の菩提寺へ墓参りをする機会を得た。「たしかお寺にも作品を納めたはず」と御年九十の祖母が言ったとおり、果たして菩提寺の堂内にはわが家の白衣観音さまと同じく朴訥とした佇まいの達磨大師がおられた。生前の仏師は、いつの日か息子の妻の姉の息子の息子の妻が自らの作品に心打たれると想像しただろうか? わが家と山間部の寺院にて今なお拝まれる名もなき作品群に倣い、ここに人知れず文章をしたためる場所を作ることとする。

    合掌

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