田圃に水が張られた。夜の畦道は鏡の淵を走るかのよう。小雨が止むと、星を映す水面で農家の住まいが逆さになり、新幹線が高架を駆け抜けるたび、窓の光が平野の鏡面に一筋の線を描く。風を切る轟音が去るとまた、一面は蛙の声。
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巨きな住まい
辺りは夏前のむっとした心地で、地平線まで海も山も町並みも無く、見渡す限り空の青と背の高い雑草の緑が広がっている。そのほかにはなにも無い――ただ巨きくて黒ずんだ木造の寺社のような建物を除いては。背後から抱きつかれるようにして樹木に覆われたその建物の、古びた木材は野ざらしで塗装がはげたのか、それとも初めから剥き出しだったのか。あまりに巨きいので、その巨きさゆえに人間のために建てられたものではないのだと直観する。一見すると三階建てくらいに見えるけれど、思いのほか複雑な構造をしているから、ひとつの階の天井がどれほど高いのか、樹木と一体化した反対側はどうなっているのか、全貌を捉えきれない。自分のほかにひとの姿は無く、また今より過去にも未来にもひとの気配は無く、永きにわたり無人であるかのようだった。儀式めいた設えで、しかも生命体は存在していないのに、そこは住まいであるのだと、理解を超えて感じ取る。わたしはその巨きな建物をスマートフォンの画角におさめるために、対象からだいぶ離れた位置に立って居て、人間には巨きすぎる距離を、気が遠くなるほど小さな歩幅で懸命に行ったり来たりしながら、綺麗な写真を撮ろうと試行錯誤している。もっとも近くに見える建物の向こうには、一定の広大な間隔を空けて、似たような建物が並んでいる。遮るものが無い平地では遥か遠くまで見渡せるけれど、人間の足では隣の建物へ近寄るにもどれだけかかるかわからなくて、世界の身に余る広さに怖気づいている。
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先達
そのひとはわたしの夫の父の母の妹の夫の父で、おそらくこの間柄を端的に示す言葉はなさそうで、言うなれば「血のつながっていない遠縁の親戚」なのだった。そこで先ずかれを仏師と呼ぶことにする。夫と結婚して間もないころ、仏師の形見である手彫りの白衣観音像と、木魚その他の仏像を何点か受け継いだ。生前仏師は多作な作家だったようで、大叔母は家にある仏師の作品群をできるだけ多くのひとへ分け与えようと、常に仏像の受け入れ先を探していた。当時、遠方に住む義理の親族とは顔も名前も覚えたての間柄だったのだけれど、仏教校の出身で観世音菩薩に帰依するわたしは、血のつながっていない遠縁の親戚ではあるものの仏師の形見を受け継ぐには適任だったといえよう。仏師の彫った朴訥とした白衣観音さまには、今では毎朝毎晩欠かさずに手を合わせるほどに親しみをおぼえ、もし一般家庭に於いてもそういった呼び方が許されるのだとしたら、すっかりわが家の“御本尊”となっている。こうして観音さまがやって来てから十年近くが経ち、この度に御縁があって義理の親族とともに仏師の菩提寺へ墓参りをする機会を得た。「たしかお寺にも作品を納めたはず」と御年九十の祖母が言ったとおり、果たして菩提寺の堂内にはわが家の白衣観音さまと同じく朴訥とした佇まいの達磨大師がおられた。生前の仏師は、いつの日か息子の妻の姉の息子の息子の妻が自らの作品に心打たれると想像しただろうか? わが家と山間部の寺院にて今なお拝まれる名もなき作品群に倣い、ここに人知れず文章をしたためる場所を作ることとする。
合掌
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やりなおし
いやに涼しいゴールデンウィークに植えつけた赤ピーマンの苗は、翌日の大風に吹かれて幾度も支柱に打ちつけられ、小さな葉のほとんどが根元から折れてなんとも貧相な姿に変わり果ててしまった。春を過ぎても強風に見舞われるこの地域の特性を知りながら、ほんの少しの手間を惜しんで防風ネットをかけないのが悪かった。前日のホームセンターでは傷ひとつなく堂々と陳列されていたはずの苗が、わが庭では前後左右へ頼りなさげに揺られて見ていられない。あのとき防風ネットをかけていればと、水やりの度にこちらも一緒になって項垂れたくなる。その後も根気よく水をやってはいるものの、大事な時期に葉を失った苗が今更見違えるように元気になるわけがない。だが、元気のない赤ピーマンは、あの元気のない赤ピーマンのままで、六月を目前にして真白な花をひとつ咲かせたのだった。また風が吹けばたやすく折れてしまいそうに見えるけれど、それでも咲いた。植物は如何して、そんなところからせめて咲くまでやり直せるのだろう。
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街ゆくアミーバ
朝、数日来の曇天を抜けてやっと見えた塵ひとつない晴れ空だった。二車線道路沿いの歩道では、蛍光色のメッシュタンクを揃って着用した高齢者の小集団が、アミーバのように広がったり縮まったりしながらどこかへ進んでゆく。おのおのが右手にトング左手に自治体指定のゴミ袋を携え、広い歩道の方方に散った凹んだコーヒー缶やら、ちぎれて短くなった吸い殻やら、得体の知れない襤褸やらを拾い集めては、ゆるやかに蛍光色の輪へ戻ってゆく。広がったり縮まったりの繰り返しによって、街は少しずつではあるけれども目には見えない速さ(遅さ)でたしかに浄化されている。会釈とは受け取れないこともない程度に頭部をなんとなくふわつかせながら、メッシュタンクの集団をそっと追い抜くと、片田舎の高い空のさらにまた高いところで、今しがた飛行機雲が描かれ始めた。