埼玉は川越の歴史ある山車が二台、真新しい硝子越しに展示される大ホールの隅に、その「未完成」は在った。われわれ老若男女の観光客は、祭の熱気を伝える数分間のプロジェクションマッピングを大人しく鑑賞し、それから係員の解説に頷きながら二台の山車を眺めていた。これで全ての展示物を見終わった、と気が抜けたところで係員がくるりと反対側を向いて、最後に「未完成」の紹介をする。見事な二台の山車が、彩色を施され勇ましい神の人形を頂点に掲げているその向かいに、木製の骨組みが剥き出しになった無彩色の構造物がぽつねんと在る。その大きさや形状は二台の山車と似通っていて、まるで山車の構造を解説するために作られた模型のように見えた。ところが係員の説明によると、それは展示模型などではなく、祭の日に町の子どもたちを乗せるため、ある有志の資産家が私財を投じて作らせた未完成の山車なのだという。舞台に龍の彫刻を施され、ハンドルを回して人形を高く掲げるからくりも仕上がった。ところが資産家は志半ばにしてこの世を去り、資金を失った山車の制作はそこで頓挫してしまう。仮にここから山車を完成させるとなると億単位の予算が必要だと係員は言い、つまりそれは今後も未完成のまま展示され、祭に出ることは叶わないのだと示唆している。さっきまで気にも留めなかった構造物が誰かの厚意そのものだと知った瞬間に、その美しさに少しも目を向けずにいた自分をいたく恥じた。
